個性の容認

こんにちは。塾長の髙橋です。

本日は、室蘭工大Y講義棟で開催の講演会
「不登校を乗り越えて」に参加しました。

以前、当ラウンジをご訪問いただきました、
「子どもの居場所を作る会 マタイ」橋本代表による講演会。
8名の方とお会いしました。

3つ隣の教室の音が聞こえる

橋本代表のお話で一番印象に残った部分です。
私自身も、教室中の音をすべて拾ってしまうということがあり、
ここまででないにせよ、体験した者の一人でした。

子どもがなぜ、落ち着きをなくして過度にはしゃぐのか。
この仕事を始めるまでの私は、「そういうものだ」という感覚で
受け止めていたので、深く考察を巡らせることはありませんでした。

これは塾長個人の私見なのですが、
ある程度成長するまで、自分の思いと、心身のコンディション、
そしてそれを伝える力がバラバラになって苦しい思いをします。
それらの統一性が取れるようになり、初めて自己実現、
自分に対する自信が生まれてくるようになるのだと思います。

そして、子どもに関わる大人の責務は、とても大きいように感じます。
子どもを信頼して、考えを受け止めてから、自分の価値観を話す。
それは、人間対人間の話として、相手の尊厳を認める大切なことで、
子ども相手だからそれをしないとなると、子どもは傷つきます。

逆に、そういう理解をしてくれる大人がいることで、
ひょっとしたら、こういった「神経質」で片づけられてしまうような、
本人としてはとても苦しいことへの悩みが軽減されるのかも、と
思っています。

フリートークの中で、ある参加者さんが質問をしました。

「そういった子どもへの禁句は、どういったことですか」

橋本代表の答えは、
・「なんで?」
 …本人としてはその理由となることを一生懸命、
 心の中で探しているのですが、上手く見つからず、
 うまく伝えられずにいるのです。
・「がんばれ」
 …自分として頑張った結果がこの状態。
 それ以上どう頑張れというのだろうか。
この2点にありました。

私自身も、程度は軽いとはいえ、そういった経験をして
今に至っているので、痛いほどよくわかります。

また、ある参加者さんは、

子どもが勤め人になってから、原因不明の無断欠勤。
 その間何をしていたかというと、海を見ていたという。
 そのとき「生きていてくれてよかった」と思った

ということをお話してくださいました。

相手が自分で気づくまで待たなければならない。
ただ、とにかくここにいていいんだ、と言った以上
発言を翻すようなことはあってはならない。

いつになれば、光が見えるのだろう。
そんな状態を数年間も経験されてきたそうです。

ただ、自分で自分の道を歩いている今、
そのころの苦労はすべて吹っ飛んだとおっしゃいました。
目頭が熱くなりました。

居心地の悪さとは

取り立てていじめがあったわけでもない。
友達とは仲良く遊んでいる。
それなのに、学校には行けない・・・

社会人でも、一昔前「仮面うつ」などという言葉が
よく取り上げられていました。
私が抑うつとパニック障害で悩まされた時期と一緒で、
「お前も仮面うつか」と言われたこともありました。

しかし、よく考えてみると、何らかの因果関係は
あるように思えてなりません。

私の塾では、実に多様なキャラクターの生徒さんが
集まって勉強しています。
小学生から高校生まで、ぶれずに一貫して取り続けている
スタンスは、「一個人として認める」ということです。

それが功を奏し、学生さん本人が「ここなら行きたい!」
と言ってくれていますし、親御さんも本人の声を聞き、
通わせ続けていただいているのだと思います。

個性と集団生活のバランスをうまくとれないお子さんが
感じる苦しみが、「居心地の悪さ」になるのかと思います。

まとめると


・当事者は確固たる自分を築きたいが、思ったよりうまく
 進まないことで絶望感に駆られることがある。
・メリハリがうまくつけられず、その自覚もある。
・そういう状態を見守り、必要に応じて手を差し伸べる
 環境がもっと増えるとよい。
・当塾としては、学習面でのニーズはもちろんのこと、
 従来より一貫して保っている「受講者の思いを受け止める」
 ことを、引き続き実践したい

多くの気付きとご縁を頂いた講演会でした。
橋本代表、武森さん、お疲れさまでした。
お招きいただき、ありがとうございました。

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