月次アーカイブ: 7月 2017

こんばんは!塾長の髙橋です。

この1年半を振り返ると、夏~秋にかけては、
じっくりと苦手なところと向き合う授業展開や、
自分のペースをつくるための授業展開が多く、
冬からは、受験も含め、その年度の総まとめとして
夏~秋の成果をカタチにしていく授業展開が多く
なっていたように思います。

今日は、「当塾の夏」らしい授業の模様をお伝えします。

中1予約クラス 16:30~17:30


・本日の希望科目:英語
・本日の授業内容:発音記号とスペリング
         be動詞(現在形)の使い分け

 発音記号とスペリングについては、先週に引き続き
実施しています。日本語にない音や、単純なカタカナ
英語とは違った発音を、記号と口の形・舌先の位置・
音の出し方なども含めて指導することで、いわゆる
4技能【読む・書く・聞く・話す】の総合的なスキル
アップを図るものです。

 今日の重点は、"l"と"r"、強母音の「ア」と弱母音の
「ア」の違いで、綴るアルファベットも、発音と関連性
があることを、五感で感じてもらうことでした。

 そして、1年生の英語学習でつまづく「be動詞の使い
分け」ですが、「人称」の概念をしっかり理解してもら
うことで、苦手意識が消えて「楽しい」と、満面の笑み
でした。

 わたし(たち)…1人称 あなた(たち)…2人称
 第三者…3人称 この考え方は、一般動詞でも使います。

【初】高3クラス 17:00~19:20


・本日の希望科目:数学
・本日の授業内容:数式の読み方/公式の暗記に頼らない
         問題へのアプローチ/数列

 かねてから、数学や論理性・しくみを重視する科目の
レクチャー希望をいただいておりました。高2までの私と
同じように、公式を覚えることに気を取られ、数学の
醍醐味ともいえる、「多角的な視点」「論理展開」、
つまりパズルを創り上げていくような部分が見えにくく
なっていたようです。

 今日のテーマは「数列」でしたが、n・d・二分の一…
など、ごちゃごちゃした公式を「とにかく覚える」こと、
そして、記述の答案構成も気にしなければいけないこと…
など、考えることがたくさんあって、何から手を付けて
よいのかわからないというところで。

 まず、私がお話しましたのは

数式の読解をしましょう

 「nとかdとか、実は意味があるんですよ。nは”number"、
  つまり、特に整数を意識して使われるんですね。
  昔やった円錐の体積の公式も、Vってありましたでしょう。
  Vは "volume" 体積、rは "radius"半径、hは "height"
  高さ、とそれぞれ意味があるんですね。」

 ということでした。

 英語が得意なので、こういう説明をすると、数式の
意味が考えやすくなるのでは、と思い、説明しました。
どうやら読みが当たったようです。

 「では、等差数列の和で、2分の1が出るのは、
  どういうことでしょう。などなど、まずこの公式の
  意味を噛み砕くために、いったん公式から離れて、
  与えられた条件だけで等差数列を仮定してみましょう。」

数学が苦手になるのは、だいたい…


 ・公式が複雑
 ・記述式になると順序を気にして進められない
 というところが、原因として大きくなると思います。

公式は後からでもよい

 公式は、そもそも、自分で見つけた規則性を一般化
したものの集積です。だから、まずは公式にこだわらず、
与えられた条件をしっかりと「読解」します。

(この辺りは、長くなりそうですので、また別の機会に。)

この2時間で、数学の見方が変わってきたようです。
一人で考える時間は、なかなか苦しいものですが、
いっしょに「読解」すると、楽しいようです。

夜間オープン 中3 18:30~21:30


(ダイジェストとしてお伝えします)

自分の時間の使い方をしっかり持っているお子さんです。
瞬発型ですが、2学期以降訪れる、毎月の学力テストでも
耐えられるようにしていきたいと思います。

今日は数学の平方根でした。単元テストと聞いていたので
最初のころの問題も出してみました。言葉の定義や考え方
を思い出してもらうのに、良い機会だったと思います。

総括

 苦手な原因を探り、いっしょに向き合うことで、
実はそれが楽しい事だったり、大事なことだったりすると
いうことに気づくこともあります。

 大一番を迎えるときに試されるのは、自分の力です。
だから、あくまでも私は、自転車でいう「補助輪」に
すぎないと考えています。

 苦手なところを扱って、笑顔で授業を終了する。
そこには、次の苦手な箇所を、どうやって調理するのか、
楽しみに思う気持ちも、あるのかもしれませんね。

 今日もお読みいただき、ありがとうございます。

こんばんは。塾長の髙橋です。
久しぶりの「塾長ブログ」、更新します。

塾生の好調ぶり

開業から、本日でちょうど1年半となりました。
数ある学習塾のうち、一番新しく参入した当塾は、
従来の教室スタイルではなく、また、「こうすべきだ」という押し付けもしていません。
(よほどのことがなければですが)

その成果もあってか、今回のテストでは、塾生が皆頑張って、
・中3生1名…定期試験で入塾当初(1年前)より、主要5科目で200点近くアップ
・中3生2名…数学の得点アップ(1名は一桁からスタートして、初めての50点!)
・中1生1名…主要5科目451点(数学満点!)
・高1生1名…最も苦手と言っていた英語が、最も高得点で、クラス順位も1桁台!

など、自主性と思考パターン、パーソナリティを重んじて取り進める、当塾の強みが顕著に出てきました。

自分の頭で考える癖を

解法、正解を知っている人間は、知らない人間に対して、近道をたどってほしくなるので、
「こうしたらよい」ということを伝える場面があります。
学校、塾や、各種習い事は、まさにそういった場面となります。

しかし、残念ながら、自分の頭で考えて、納得できるかどうか、ということは別物です。

答えだけ知っていても、頭でっかちになってしまいます。
少子高齢化、人口減少社会と呼ばれて久しいこの世の中ですが、
これからを生きる人間には、知識と実践、どちらも問われることになります。

正解だけ知っていればよいというのであれば、自分の頭で考える必要性は少なくなります。
考えるために頭脳を持っているのですが、これではまるで、頭脳がコンピュータの記憶装置と
イコールだと言っているようなものです。

また、年少者にとっては、年長者の存在や影響はまだ大きい世の中です。
年長者が「こうしたらよい」とアドバイスのように言ったにすぎないとしても、
言われた年少者は、「こうすべきだ」という錯角に陥ってしまうことも、よくあります。

腑に落ちないで、思考する時間も与えられず、「こうしたらよい」となると、
「こうしなくては、先に進めない」と考えてしまい、結局その方法に従わざるを得なくなります。
ここが、「こうすべきだ」と錯覚する原因です。

ましてや、語気を強めて「こうしたらよい」と言ったり、「こうしたらよい、そうでなければ」
と言ってしまうと、言われた側の圧迫感というものは、言った側の想定しているよりも、
かなり大きいものに感じてしまいます。

その人のバックグラウンドを理解する

言われた相手側がどうとらえるか、という問題は、それぞれの感性が十人十色なので、一概に
どうであると断言できるものではありません。

当塾で心がけているのは、受験の虎の巻を叩きこむようなことよりも先に、
受講されるすべての方の、バックグラウンドを理解することを心がけています。

たとえば、「なぜ数学ができないのか?」という悩みをお持ちのお子さんがいたとします。
このお子さんに、実際、数学の問題を解いてもらうことで、考え方の癖を複数通り予測します。
少なくとも【考え方のアプローチ】と【そう考える原因】について、予め話をよく聞いておくと、
あぶりだしがしやすくなります。

【考え方のアプローチ】
・難しく考えすぎていないのか。
・数式や文章題を落ち着いて読みこなせていないのか。
・概念がちゃんと理解できているのかどうか。

【そう考える原因】
・時間制限に追われている感覚があり、焦っている。
・受けてきた説明や、独学で学んできた内容を、シンプル化できていない。
・その科目でひどく怒られ、科目自体が嫌いになった。
・どうせ無理だ、とあきらめている。
・そもそも、どこがわからないのかがわからない。

さらに、性格まで把握できていると、だいたい「見立ての処方箋」はできあがります。

そして、解き終わって、解答あわせをしてから、予測した考え方の癖や、「見立ての処方箋」について、
こちら側が解答あわせをします。
そうすることで、「あまり多く言わなくても理解してもらえる」という「安心感」が生まれます。

しかし、安心しきってしまうと、コミュニケーション不全も生まれるので、
あえて考えを口に出してもらったり、質問したりすることも、定期的に欠かさず行います。

「べき」も「選択肢」として

※論理学的な話ですので、この部分は割愛して読んでいただいても話が分かるようにして書きます。

たとえば、「1-1=0」という問題。
数の計算では、1個あるものを、1個取ると、残りは0個という、簡単な問題になります。

しかし、そこには、

<同じ種類のものを足したり引いたりする>


という前提が求められます。

つまり、世の中全体の物事について、1-1という計算を考えたとき、
「1つの集合体から、1つのものを取り出すと、本当に0になるのか?」

という、違った前提からの計算をしなければならないことが、多々あります。

数の計算では、1-1=0である「べき」です。
しかし、<同じ種類のものを足したり引いたりする>という前提が崩れると、
<引くものは同じ種類のものかもしれないし、違う種類のものかもしれない。>や、
<同じ種類でも、集団の規模が違っているかもしれない。>などといった計算も考えなければなりません。

そうすると、<同じ種類のもの>であれば、「1-1=0であるべき」ということは当てはまりますが、
<違う種類のもの><集団から取り出す>などであれば、「1-1=0であるべき」とはいえないこともあります。

また、0という数を考えてみても、0は「まったくの無」と考える場合もあれば、
「無」の状態が「存在する」ので、「まったくの無」であるとはいえないのでは、と考えることもできるでしょう。

自分にとっての「当たり前」が、誰かの「当たり前」とはならない

「どうしていうことを聞かないの!?」
「どうして理解してくれないの!?」

よくこういう壁にぶつかることがあります。

簡単です。理解してほしい人、言うことを聞かない人は、自分ではないからです。
理解してもらうには、自分の主張だけではうまくいくものもうまくいきません。

相手の話の前提とすることがらと、自分の話の前提とすることがらが、
全く違うものであれば、交わる話もいつまでたっても交わりません。

総括


・頭ごなしのコミュニケーションはいずれ破綻します。どんな関係においても。
・相手の「前提条件」は何だろう、と考える時間が、もっと必要なのでは?
・信頼して見守ること。育ってほしい、成長してほしいという相手には、なおのことこの態度が必要では?

→当塾では、これらを常に心がけながら、レクチャーに臨んでいます。
そのため、小学生、中学生、高校生、一般の方と、幅広く対応させていただくことができています。

長くなりましたが、ご覧いただきありがとうございました!