二宮金次郎に思う

こんにちは。塾長の髙橋です。
いつも当サイトをご覧いただきありがとうございます。
今年もあと2週間を切りましたね。

さて、昔の小学校には、薪を背負って本を読む子供の
銅像がありましたよね。最近では、「ながら」は危険なので
座らせて本を読ませている銅像もあるのだとか?

その「二宮金次郎」のお話をしたいと思います。

私が彼のことをはっきりと知るようになったのは、
お恥ずかしながら、前の職場に勤めてからでした。
それまでは、名前とおおまかな功績は知っていたものの、
「どんな思いで」というストーリーまでは知りませんでした。

勤勉な日本人の象徴ともいえる彼について、
どうして私が今日、思いを馳せて記事を書いているかと言いますと。
次第にご理解いただけると思いますので、お時間のある方は
お付き合いいただけると幸いです。

お時間のない方へは。
1.勉学は必要性を見出して行うもの。
2.道が絶たれたら違うルートを探すこと。
3.正論は時として人の心の余裕を奪うということ。
4.苦労は決して忘れないこと。

について書いていますので、ご参考まで。

幼少期

もともと彼は、いまの神奈川県小田原市栢山(かやま)というところの
豊かな農家に生まれましたが、酒匂川(さかわがわ)の氾濫で
家も畑も流失してしまい、再び土地を耕すことで借金を負ってしまいました。

その後、父は眼病を患い、母は早くにこの世を去ります。
昔は子供も働き手の一部でした。働きが足りないと言われた彼は、
昼は薪を取りに山に分け入り、夜は皆が使うわらじを編んでいました。

父も彼がまだ成人になる前にこの世を去り、彼と兄弟は、母の実家に
預けられることになりました。
家の再建には勉学が必要と感じた彼は、夜な夜な勉学に励みますが、
伯父からは、百姓が勉強するなど無駄で、油の無駄遣いだと言われます。

そこで彼が起こした行動は、堤防にアブラナを植え、菜種から油をとり
自分の勉学に使う油をまかないました。

今の世の中では考えにくいことかもしれませんね。

書きだすと長くなるので、詳細についてはほかのウェブサイト等に
譲りたいと思いますが、もうひとつエピソードを。

挫折を知る~桜町再建~

やがて彼は、数々の功績が認められ、いまの栃木県真岡市にあたる
桜町を復興し、救済するというミッションを与えられました。

ところが、その手法が「正論で、ストレート」だったのか、
町人たちから反感を買い続けました。

「胃に差し込みのような痛みがあります。辞めさせてください。」
しかし、そうは問屋が卸してくれませんでした。

ある日、彼は、急に姿を見せなくなりました。

なにをしていたのでしょう?

実は、成田山(千葉県)へ断食修行に行っていたのでした。

ただ、民を救いたい。

その願いのためだけに、断食修行を行っていました。

なぜ断食修行をしたいのかと問う成田山の和尚とのやり取りを
要約すると、このような感じでした。

”自分のために祈る者が多い中、別に病気にも貧困にもあえいで
いるようでもないあなたが、どうして断食修行を?”

”今でこそ病気にも貧困にもあえいでいないが、幼少期から
飢饉と貧困にあえいできた。60年に一度は飢饉があるという。
そうした時に、事前に備えておき、困る人が出ないようにしたい。
それで叶わぬのなら、私の心に誠意が足りないからであり、
死を意識しても食をとらず、それでも救われないというのなら、
この身を猛火に投げ入れましょう”

苦労を知る彼だからこそ。
各地の再建に取り組んできた彼だからこそ。
世のため、人のために、自らの身を祈りに捧げました。

断食祈祷、21日目。ついに、天啓を得ます。

桜町に戻ると、誰も反抗する者はいなくなりました。
こうして、桜町の再建も果たしたのでした。

よい面だけでは物事は進まない、だから人生は面白い

もし、彼の仕法(=取り組み)が常に成功ばかりだったら
ここまで、いろんな人に語り継がれたでしょうか?

確かに最初は、豊かな農家の子供に生まれましたが、
ほどなく貧困に陥り、「持たざる者」になりました。

だからこそ、知恵も必要だと思い、自分で燈火の油を
作ってまで、勉学に励んだのでしょう。

だからこそ、苦しむ民を救う役割を担ったのでしょう。

だからこそ、ストーリーが際立っているのではないでしょうか。

これが、最初から最後まで、成功者ばかりに囲まれて、
何不自由なく暮らしていれば、このような人物もストーリーも
生まれなかったと思います。

「のど元過ぎれば熱さも忘れる」
ということわざがあります。

苦労も、過ぎ去ってしまえば、忘れてしまう。
ましてや、自分にはなかったことのようにして、
人に良い面ばかりをみせようとする。

経済成長停滞、人口減少、少子高齢化。
そんな世の中で、これを続けると、みんな疲れます。

たしかに、ネガティブな場面や苦しい場面は
人には見せたくないというのは、私にもあります。

ですが、人には良い面も悪い面もあります。

どっちの側面も、その人なのです。

苦しい時に弱音も吐けないと感じるようになりました。
だけど、その弱音の中に、改善のタネが存在するのも事実です。

世知辛いといわれて久しい現代こそ、
昔の人の思いに触れるべきではないでしょうか。

そしてそこに、心の救済となる気付きとなるものが
(最近流行っているセレンティピティという言葉でしょうか)
少しでもあると感じられれば、見える世界も変わってくるのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です