2016.1.4 教育トークセッション

平成28年1月4日 共生舎オープニングイベント
トークセッション「教育とは?理想と現実」

・13:00 開始

 Chapter 1 「現実」
 2014年度OECD調査「図表で見る教育」によれば、日本の教育水準は
決して低くなく、読解力の面では教育先進国といわれるフィンランド並み。
 しかしながら、他の先進諸国と比べると、女性の社会での活躍が不十分で、
教育に対する公的支出は、留学生にはやさしく自国民には厳しいものとなって
おり、OECD加盟国で最低レベルとされる。

 <一般的に広く言われている日本の教育のすがた>

 震災以降、国が総合的な学びを志向しているが、教員は事務に追われて
時間配分が苦しかったり、保護者の要求の中に「言いがかり」のようなもの
が増加していたりするようである。
 世相としては、若者がリスク管理意識を強めていて、言われたことしか行動
しない「マニュアル人間」が増え、かつてのような「押せ押せドンドン」が
通用しなくなってきているようである。

 <みなさんの考えを聞かせてください>

・不景気だから公務員になって、安定を望んで…はみ出してはダメなのだな、と
 思う。今の若手や子供達はバブルなんて知らない。
・大人が「横並び」を意識し過ぎている。子供の個性なんて育つわけがない。

・大学全入時代とはいうものの、入学試験が難しく卒業が楽なのは本末転倒。
・学びに必要なのは情熱と愛情。好きでないと楽しくない。

・愛情の表現がわからない大人が増えた。きちんと叱ることができないからか、
 陰湿に人の心を傷つけるようなことが横行している。勉学のスキルへの偏重で
 人の心が軽くなりがちなのが課題ではないか。
・「怒る」と「叱る」の違いがわからない人が多い。

・不登校問題。「来たい時においで」というスタンスなら、行ってみようか、となる。
 (信頼や承認のサイン)
 「おいで」と足しげく先生が家庭に来られると、行かなきゃ、という思いが
 強くなり過ぎて、委縮して動けなくなる。

・いい子でいるって誰のため?
・これだけお金をかけたのだから、と親は口にしてしまう。それっていいこと?

 <トークセッションを踏まえて>

大人として、何をして行かなければいけないのか。何ができるか。
また、どんな教育の場づくりが望まれるのか。
感想も交えて、意見を伺いました。

・「教育」とは、国を作る基礎、人を育てる大切かつ必須なもの、そこには
 ”心”が通わなければ、心=志(もののふの心)がなくてはならない、と痛感しました。
・人は互いにいろいろ話し合うことが必要だ。
・意味のないいじめなど、現代社会の致命的な問題に、日本の今の教育のあり方が
 深く関係していると思った。
・親族にいる小学生がいじめの対象になったり、不登校になったらどうしようかという
 ことを考える機会を持てた。
・トークセッションには初めて参加した。普段自分自身が関心を持って様々なことを
 考えていないことに気がついた。子どもたちが育っていくうえで、失敗から学ぶことや
 いじめの背景をひも解くことは、とても大変なことだと思った。
・近現代史こそ大切なものとして教えるべきでは。古代史に重要性を感じない。
・叱られた経験のない人が多く、人の痛みを想像できない社会になってきている。
・昔はガキ大将がいて、複数の学年で遊んだり登校したりしていた。周囲の大人も目を
 配って叱ったりほめたりしてくれた。いじめの起こりにくい環境だったのでは。
・学校では問題なかった人が社会人になってメンタルヘルスの問題で休職せざるを得ない
 人が多いのを感じるが、今の教育の問題ともつながっていると感じた。

最後に、この共生舎に期待することや、今後の教育現場に期待することをお伺いしました。

・教育現場の諸問題を浮き彫りにしつつ、その補完をするような形で事業が進むことを望む。
・このような語らいの場を継続できることを期待する。
・フリースクールとの両立や、大人・子ども相互の交流の場にすることはできないか?
・もっと室蘭のことを知ってもらい、好きになってもらえる場にしてほしい。
・国際的な視野を取り入れて、国の「礎」としての教育を展開してほしい。